目次

はじめに

言葉は変化するもの

このページを書くきっかけは、 「8割以上の大人が漢字力の低下を感じ、危機感を覚えている」というようなニュースを見たことによります。 8割以上の大人が漢字力の低下を感じているなら、それはもう人間の方が危機感を感じる必要は無くて、日本語の方が変わるべきなんじゃないかと。 (変わるべきというか、多分、放っておくと変わる。 その流れは止まらないだろうし、無理に止めようとすべきではない。)

少し昔の話題でいうと、「ら抜き言葉」なんてものもありましたね。 「見るの可能形は見られるであって、見れるは間違い。らを抜くな。」というやつ。 でも、実は「ら」なんてない方が、文法も論理的できれいになるし、 受身と可能の弁別が簡単になるし、 メリットは多いけどデメリットなんてあまりない。 メリットが大きいからそういう変化を起こして、みなに受け入れられたわけですよ。

そんな「ら抜き言葉」に対して、 間違いだとか、日本語は正しく使えとか言うのはちょっと納得がいかない。 多くの若者が「ら抜き言葉」を使うのなら、 それは「若者の言葉はおかしい」ではなくて、 「日本語が変化した」と捕らえるべき。

積極的に変える

言葉は変わるものなわけですが、 むしろ変えて言葉がよくなるなら積極的に変えた方がいいんじゃないかという発想もありなわけですね。

さらに1歩進んだ考え方をするなら、新しい言葉を作ってしまったってかまわない。 というか、「言葉を変える」というのと「新しい言葉を作る」ってのは紙一重で、 言葉をあまりにも変えてしまうと、母語話者にとってすら学習しないとしゃべれないものになるので、 実質的には別の新しい言語だと考えても差支えがない。

実際、例えば、英語を合理化して覚えやすくしようってのを提案してる方がいるんですが、 そのうちの1例、 合理化英語 案なんかを読んでみてもらえればわかるんですが、もはや別言語になっています。

本当に変わる?

とはいえ、言葉なんてものは誰かが恣意的に変えようとして簡単に変わるものじゃないです。 まして、新しく作った言語なんて誰が覚えてくれるでしょう。 「英語を初学者のために学びやすい言語に変えよう」とか、 「全人類共通の普遍的な言語を作ろう」とかいう試みは、 やっぱりなかなかうまくいっていません。

正直、そんな夢物語は考えるだけ無駄なのかもしれません。 でも、「言葉には変える余地がいくらでもある」ということくらいは皆に認識していてもらいたいかなぁ、 というのがこのページの主な目的。

だから、実際にそんな変化を起こせるのかとかそういう現実的な話はこの際おいといて、 あえて言葉の変化や新しい言語作りについて書こうかと思います。

人工言語

民族の長い歴史の中で形作られてきた自然の言語と異なり、 誰か、特定の個人なり組織なりが何らかの目的を持って作った言語を人工言語と呼びます。 「既存の言語を少し変えよう」なんて発想も、 改編の程度によっては人工言語と言ってしまっていいものになります。

人工言語を作る目的には以下のようなものがあります。

  • 普及 … 普遍言語や国際補助言語として普及させる。

  • 創作 … 小説や映画などの演出として、地球上に存在しない新しい言語を作る。

  • 暗号 … 身内だけに通じる言葉を作ることで、機密性を確保したり、仲間意識・帰属意識を高める。

  • 研究 … 研究目的として、極端な方針の文法や語彙持った言語を作る。

ここでは、言語の改善の余地に関して考えるのが目的で、 既存の言語の改善というのは普及目的の人工言語の範疇に入ります。

普及型言語の目標は言語統一?

理想論(それも、絵空事なレベルでの理想)として、 世界中の人が同じ1つの言語を使えるようにならないかという発想は誰しもが考えたことがあると思います。 そういう、全人類共通の単一言語を目指す人工言語を普遍言語と言ったりします。

日本人は中学・高校と週4・5時間×40数週×6年間は最低でも英語の勉強をしているわけですね。 世界中の人々が同じ言葉を話していれば勉強する必要のないものに対して、 結構な労力を裂いているわけです。 普遍言語が普及すれば、そういう労力はまったく必要なくなるはずなんですよ、 理論上は。

そういうわけで、今までにも普遍言語の実現を夢見ていろいろ画策した人は多々います。 ですが、様々な試みが徒労に終わり、 現在では言語統一を夢見る人はほとんどいません。 それは以下に述べるような理由によります。

地域格差

まずは地域格差の問題。 たとえ1度言語統一がなされたとしても、 地域による差はどうしても生じてきます。 それが進行して徐々に方言化するわけですが、 いずれは地域間での意思疎通が困難になり、 結局は複数の言語に別れ始めることになります。

まあ、方言はインターネットや放送等の遠隔コミュニケーション手段の発展と共に無くなる傾向にあるので、 この問題は今後はどんどん無くなっていくかもしれません。

文化

遠隔コミュニケーション手段の発達によって、 地域的な語彙や文法の差異は無くなっていくかもしれませんが、 それだけでは言語統一はかないません。

というのも、言語というのは文化によって多大な影響を受けます。 新生人口言語論から引用するなら、 文化の違いによって言語に対して例えば以下のような影響があります。

  • 米文化圏以外では、「米」と「稲」の区別は必要ない。

  • 日本語で兄と弟、姉と妹の区別があるのは、年齢によって上下関係が定まる文化があるから。

  • 「狼」に対するイメージは、西洋では「凶暴・狂気」、日本では「孤高」と異なる。

  • 「高貴な色」と言われて思い浮かべる色は文化によってまちまち。

まあ、要するに、言葉をどこまで細分する必要があるかとか、 比喩表現に関する差があります。

米と稲の区別が結構頻繁に必要となるような言語では、 それぞれに別単語がないと不便です。 かといって、区別の必要もないのに単語を分けても、 学習も運用も面倒になるだけです。

比喩表現の差は、異なる文化間でのコミュニケーションに誤解を生じる可能性があります。 「孤高の人」というそんなに悪くない意味で「狼みたい」といったつもりが、 「狂人」という意味で捉えられる可能性もあります。

語彙や文法はまあ、最大公約数的な語彙・文法の作り方も目指せないことはないですが、 流石に文化まで世界中1つに統一するというのは馬鹿げています。 そして文化の違いがいずれは方言を生み出していく可能性は非常に高いです。

国際補助語

言語統一なんていう絵空事はあきらめるとして、 じゃあ、せめて、異なる言語間・異文化間での意思疎通を簡単化できないか、 というのが、最近の(普及を目指す)人工言語のスタンスです。

第1言語は今まで通りの各国固有の母国語を使っていただくとして、 第2言語として覚えていただこうと。 そういうわけで、昔は普及型の人工言語は普遍語とか呼ばれてたのが、 最近は国際補助語と呼ばれています。

国際補助語として普及させれそうな言語は大きく分けると以下の2つがあります。

  • 世界中の各言語に対して平等になるように、特定の1言語に肩入れしないように作った人工言語。

  • 今一番シェアの高い言語をそのまま使えばいいじゃん。

平等な言語

前者に関しては、特定の言語に肩入れすると、 他の言語話者からの反発を受け、普及が困難になります。 かといって、完全に平等にしようと思うと、 どの言語とも違う全く新しい言語を作るとか、 全ての言語から均等に語彙を輸入して作るとかする必要があります。 ですが、これは度を越すと、学習の困難さからまず普及はしません。 どちらに転んでも普及が見込めないという非常に難しい問題を抱えています。

今のところ、人工言語としてはエスペラント語が圧倒的なシェアを持っているんですが、 エスペラントは西洋語(特にラテン語系)をベースに作った言語で、 非西洋圏では平等さのかけらもないといった問題があります。 でも、ラテン系の既存の言語がベースだからこそ覚えやすいという面もあって、 非西洋圏にも平等にしようと思うと、今度は覚えにくいから普及しないということになります。

現在のシェア No. 1 言語

後者に関しては、要するに、今現在の状況で言えば英語を使おうぜということです。 非英語圏の人間には不公平極まりないことですが、 世の中、力あるところにより力が集まるものなので、 この流れはもう止まらないものかもしれません。 実際、既に世界はこの方向性に流れていっています。

まあ、かつて、普遍語の地位に最も近かったラテン語が今ではすっかり英語に取って代わられたこともありますし、 必ずしもこの状況が続くとも限りませんが、 もはやアメリカ大陸が1夜にして消滅するくらいの未曾有の天変地異でも起こらない限り、 英語の優位性は覆らないかもしれません。

言語の良し悪し

ちなみに、「言語の良し悪しを考えて、一番いい言語を使おう」という発想は使えません。 各国で数千年も使われてきている言語に、そんな明白な優劣が残るわけも無く、 どれもどっこいどっこいです。

どの言語も改善の余地がないほど完成されているというわけではないですが、 改善していけばどの言語から出発しても1つの理想系にたどり着くというわけでもありません。 いろいろな言語から出発した完成形がいくつもあって、 やはりそれぞれ一長一短が残ると思います。

そもそも、完成形というものにたどり着けるのかも怪しくて、 「改善してみたら今度はこんな部分に不満が」というのを繰り返すと、 言語形態がループするんじゃないかという気も。

英語に抵抗

国際語 = 英語という方向に流れ出した今の世界に対して、 幾分かでも抵抗することはできないでしょうか。

1つは、もう真っ向からの抵抗。 使用人工的・国家の経済力の面で対抗勢力になりえそうな中国語か日本語辺りをベースに、 アジアの共通語を作ってしまう。 欧印系諸語のための国際語 = 英語、 そしてアジア諸国のための国際語の位置に何か適当な言語を入れてしまう。

まあ、この発想でいくと、西洋ともアジアとも、地理的にも国交的にも疎遠な国はどうするんだってことになりますし、 そもそも不毛な争いになりそうなんであんまりいい案ではないですが。 世界共通語を夢見てるのに、いきなり2派に分けてどうするんだよって話でもありますし。

もう1つは、英語にちょっと歩み寄っていただく。 ピジン(中国人商人の手によって簡素化された「ですだよ」英語)みたいに、 英語を簡素化する方向。

実は、英語に 「名詞の格によって動詞が活用するのをなくす」、 「格、時制、態などによる語尾活用を規則的にする」などの改善を施すと、 膠着語(日本語みたいに助詞を付けて文章を作る言語)的な言語に変化するんですね。 日本語の助詞とか助動詞は、ある意味、規則変化語尾に当たるわけで。 I my me / you your you を例えば、mo ma mon / to ta ton とか言うように表すのと、 私 私の 私を / あなた あなたの あなたを と表すのはほとんど同じことです。 異国語を学ぶ際、文法的には覚えやすいのはこのような膠着語だといわれています。 実際、エスペラント語のような普及目的の人工言語は膠着語的性質を有しています。

まあ、他にもいろいろな改善の余地はありますが、 とにかく、こういった方向で英語の方に覚えやすい言語になってもらえないかなぁということです。

ただ、これも注意が必要で、初学者に覚えやすい簡素な文法にしてしまうと、 形容詞がどの名詞に係ってるか分からないとか、あいまい性が強くなって、 長文が書けなくなったりすることもあります。 ラテン語なんかは、 男女中性とか単複とかを区別して、 名詞にあわせて形容詞も変わったりするおかげで、 結構適当に長がったらしい文を書いても文章が曖昧にならなかったりします。 (その代償が、西洋人ですらうんざりするような複雑な活用です。)

あえて日本語

そういうわけで、この国際語 = 英語の流れが確立しつつあるこの世の中で、 あえて日本語を推進するなら、大きく分けると以下の2つの方向性があります。

  • 2派に分ける: 欧印系言語の代表 = 英語、アジアの代表 = 日本語

  • 英語に日本語的性質を組み入れる

アジアの代表言語化

まあ、正直自分で言ってて苦しいですね。 大体、「○○の一極支配を覆すため、アンチ○○を旗頭にして勢力を作る」っていう発想は、 僕的にもあんまり好きじゃないですし。 某プログラミング言語じゃあるまいし。

とりあえず、その辺りは置いといて、 日本語の普及について考えてみましょう。 言語の普及ってのは、社会的・政治的な問題で決まる物で、 その言語と周りの言語の親和性とか、 その言語の良し悪しとかはあんまり関係ありません。

いい面をいうなら、日本語みたいな他に親戚となる言語がないような言語でも、 日本の経済的な優位性を利用して普及させれる可能性があるということです。 ただ、これもまあ、隣国とのしがらみとかいろいろ解決しないといけない問題があって、 正直これ以上はここではどうこう言えることはありませんね。

悪い面はというと、 例えば、日本語は今のままだと他国の人に覚えにくいだろうからと、 日本語を覚えやすい言語に改善してもあまり意味がない。 例え話なんで極論で言って、完璧で非の打ち所のない言語になったとしても、 それだけで普及するとは限りません。

日本語の改善

言語の改善が即普及には繋がらないとはいえ、 やっておいて損はないことです。

ただ、このページの最初の方でも書きましたが、 もう2000年以上も使われている言葉にそんな今すぐ変えた方がいいようなあからさまな欠点が残っているはずはないんですね。 どの部分も一長一短ある。 あっちを立てればこっちが立たずという感じで、 完璧な言語というのはあり得ない。

でも、目的を絞れば話は別です。 目的を決めれば、 「あっちを立てればこっちが立たず」のどちらを立てるべきか、選び方も決まってきます。 ここでは、近隣諸国への普及を目的にすえるわけですから、 言語を覚えやすくする方向で考えればいいわけです。

ということで、日本語のいろいろな特徴の利点・欠点をあげてみて、 それが覚えやすさという面から見てどうなるかを考えてみましょう。

同音異義語の多さ

日本語最大の問題点と思われるのが同音異義語の多さです。

音韻の種類が少ないのに、中国語から大量に語彙を輸入しているので、 もともと中国語では区別されていた単語が同じ音になって区別できなくなっています。 特にひどいのは「こうしょう」という単語で、交渉、高尚、公証、好尚、考証・・・ 大辞林とか調べると、45個も見つかるそうで。

漢字を覚えていれば、同音でも意味の違いが割と分かるんで日本人はこれで悩むことも少ないわけですが、 漢字をまだ覚えていない学習者にとってはこの同音異義語の多さはきついものがあります。

また、中には、文脈ですら弁別できず、日本人ですらも口頭では区別の付かない同音異義語もあります。 例えば、工学と光学、科学と化学、市立と私立などなど。

で、これはもう、外国人が学びやすいかどうかという問題は関係なしに、 現在の日本語がかかえる問題として、対策が考えられています。 どういうものかというと、やまと言葉を使った置き換え。 光学は「こうがく」とは読まず「ひかりがく」、 化学は「ばけがく」と読もうということ。 市立と私立なんかはすでに「いちりつ」と「わたくしりつ」が定着していますね。 「ばけがく」も、理系の人間にとっては割りと一般的な読み方です。

動詞の活用

日本語って「見る」っていう動詞なら 「見、見、見る、見れ、見ろ」と、 「走る」なら 「走ら、走り、走る、走れ、走れ」と活用します。

英語の動詞の活用を覚えるのに苦労している日本人としては、 この日本語の動詞活用は難しいものなんじゃないかと思う人もいるかと思います。 でも、実は、外国人向けの日本語の教え方では、 こんな活用の話はしないんですね。 五段活用とか、下一段・上一段活用なんて言葉もない。

どうやってるかというと、 見るなら「mi」が語幹、 走るなら「hashir」が語幹とだけ教える。 で、否定語尾が「nai/anai」、 丁寧語尾が「masu/imasu」、 原形語尾が「ru/u」、 仮定語尾が「reba/eba」、 命令語尾が「o/e」だと教える。 / の左右のどっちを選ぶかは、語幹が母音で終わるか子音で終わるかで判断。

こう考えると、日本語の活用ってのは、 英語で can とか must とか may とかいろいろ覚えないといけないのと一緒。 むしろ、can が could とか変な活用しない分覚えやすい。

パターンは語尾が子音か母音化の2通りしかないし、 不規則な変化をする動詞は「する」と「来る」のたった2単語。 動詞の活用に関しては、日本語はもともとかなり簡単な部類になります。 これ以上簡単にすることを考えるなら、 五段活用と一段活用の差をなくすことでしょうか。

まあでも、穏便変化なんていう変な部分もあります。 学習を簡単にするという目的からすると、これはなくしてもいいかも。 というか、別になくてもそんなに困らないんですよね。 「走って」を「走りて」って言われても、 まあ、古文みたいで気持ち悪いのと、「走り手」との弁別が悪くなる問題はあるけど意味はわかります。 日本人はこれまでどおり穏便変化させて「走って」を使うけど、 外国人が「走りて」って言ってもおかしいと思わない風土さえ築けばそれで大丈夫なはず。

あいまいな表現が多い

あいまいな表現がいくらでもできるのは日本語の悪い所だなんてよく言われますね。 警察を装った詐欺師が「警察の方から来ました(←嘘ではない)」とか、 新しいことをやるかどうか迷ってる人が「やってみたい気がしなくもない」とか。

まあでも、これは言語を使う人の問題であって、 別に言語自体の欠点ではないです。 あいまいでない表現もいくらでもできますし。 むしろ多様な表現が可能だということで言語としては長所だと思ってもいいかも。

まあ、日本語を学習する人からすると、細かいニュアンスの表現ってのは困難極めるんで、 国際語として使う際には「無駄に高機能すぎて使わない能力」ということになります。

単語の区切りがわからない

日本語は文章中に全然スペースを入れないので、単語の区切りが分かりにくいです。

日本人が特にこれで困らないのは漢字交じりで書くからでしょうね。 漢字の部分は大体名詞か動詞の語幹なので、 その後ろに「は」とか「を」が来てればそれは助詞だろうし、 「らりるれ」が来れば五段活用動詞、「い」とかがあれば形容詞と、 大体単語の区切りや品詞が判断できる。

一方で、日本語を学ぶ外国人の方向けには、ローマ字を使った表記をするわけですが、 その際には単語単語を区切って書きます。 「今日はどこに行こうか」なら「kyou ha doko ni ikou ka」とか。

なので、困ることがあるとすると、「ひらがなまでは覚えたけど、漢字はまだ」というレベルの人。 まあ、これも、そういうレベルの人向けには「きょう は どこ に いこう か」と書いてしまえばいいわけで。 実際、日本人でも、メモ書きなんかの際に、漢字が分からない・書くのが面倒でひらがなを使うときにはこういうスペーシングをして書くと思います。

実質的に、単語の区切りが分かりにくくて困るのは、 機械翻訳とかのコンピュータ上での処理の際くらいでしょうか。

自由アクセント

英語なんかでもそうなんですが、アクセントの位置が定まってないと覚えるのが非常に面倒です。 単語のどの位置にアクセントがあるのか定まってないことを自由アクセントと呼ぶんですが、 日本語も標準語や関西弁は自由アクセントです。

でも、日本語でもアクセントの位置が固定は方言もあるんですよね。 というか、アクセントのまったくない方言もあります(その代わり単語の間に促音が入ったりする)。 もちろんなまって聞こえますけど、標準語話者との意思疎通は可能です。

ということは、日本語って自由アクセントである必要ってないんですよね。 学習者にとっては固定アクセントの方がはるかに簡単なんで、その方がいい。

ただ、日本語を固定アクセントにしてしまうのにも欠点があって、 ただでさえ多い同音異義語がさらに増えちゃうんですよね。 端と橋と箸の区別が付かない。

ちなみに、日本語のアクセントの厄介な所は、単語の後ろに続く助詞も巻き込んで変化する所なんですね。 例えば、標準語だと端と橋は単体だと区別が付かないんですが、「端を」と「橋を」だと区別が付く。 (この観点からいうと、助詞の「を」ってのは、名詞と独立した単語というよりは、 名詞の語尾変化だとみなす方が自然だったり。)

音韻が少ない

日本語は音素も少なければ、音節の構造も単純です。 なので、学習者にとっては非常に簡単になじみやすい音韻体系だと思います。

でもこれにももちろん欠点はあります。 音韻が単純だと、聞き間違いなどが起こりにくいという利点があるんですが、 それをいいことに(?)日本人のしゃべり方は 「口だけでだらしなくしゃべる」とか 「声にパワーがない」とか「発音が不明瞭」とか言われたりします。 言語としてはそれでも通じるんだから別にいいんですけど、 歌手や舞台俳優の人からするとこれは最悪な欠点らしいです。

あと、 音韻が少ないんで、 同じ音節数だと伝達できる情報量が圧倒的に少ない。 (単語長が長くなりがちだし、 下手に縮めると同音異義語が増えて口頭での意思疎通ができなくなる。) 音韻が少ない分エラーに強くて、早口で話しても誤解なく通じるはずなんで、 音節の数で比較するのはフェアじゃないんですが。 それでも、日本語くらい音韻が単純だと、 単位時間当たりに伝達できる情報量は多言語よりも少ないと思います。

漢字

学習という面から見ると困難極める漢字ですが、不要だとまではいえないと思います。

漢字を持っていることのメリットってかなり大きいんですよ。 漢字みたいな表意文字があると、文章を理解するのに必要な時間が相当短縮されるといわれています。 その結果、同程度の質の教科書がある場合、同じことを勉強して理解するのに必要な時間は、 漢字を持つ言語の方が圧倒的に短くなります。 (これは、戦後の日本の急激な成長を説明付ける1つの理由だとまで言う人もいます。)

ですが、今現在、日本語の漢字にも改善の余地は多々あります。

まず、文字なんて物は、他の文字と明確に区別できれば十分なわけで、 あんまりにも複雑な形状をしている必要はない。 漢字の形状は過剰に複雑なんですよ。 (書き間違いなどに対するエラー耐性を考えると、ある程度の余剰は必要ですが。 それを見越しても過剰。) 中国みたいに略字体を導入してしまってもよくて、 これだけで漢字を覚える・書く難しさは相当に軽減されるはずです。 (フォントの置き換えとか、再教育のコストが大きくてなかなか実現はできないとは思うけど。)

同じ文字に何パターンもの読み方があるのもよくないです。 特に熟語中でのみ特殊な読み方をするのなんて、かなり最悪。 「出納(すいとう)」なんて「しゅつのう」って読めばいいと思うし、 「解毒(げどく)」は「かいどく」、 「相殺(そうさい)」は「そうさつ」、 「会得(えとく)」は「かいとく」でいいと思います。 日本人はこれを当たり前のように教えられてきていますが、 文字と読み方が1対1に対応してない言語なんて実は非常にレアです。

「重複(ちょうふく)」に関しては微妙かなぁ。 「重」って漢字は「かさねる」の意味のときは「ちょう」、「おもい」の意味のときは「じゅう」なので。 (これは中国語でも。「重」は意味も読みも2つずつある珍しい漢字。) むしろ、「おもい」と「かさねる」を別の漢字にしてしまうべきかもしれません。 「はたらく」に対して和製の漢字「働く」を作ったように、 新しい漢字を作る方がすっきりするかもしれない。 (元々、漢字に「働」の文字はない。「労働」も「労動」と書く。) (まあ、これやると今度は「多重」とか「重婚」の読みが変わっちゃいますけど。)

あと、度を越して難しい漢字を使える必要は全くない。 同じ意味を指す簡単な単語なんていくらでもあります。 例えば、通信系の分野に「輻輳」なんて言葉があったりするんですが、 これの(通信用語としてではなく、言葉本来の)意味が分かる人ってどのくらいいます? 「輻」が車輪の中心から放射状に伸びてる棒状の部分(spoke)、「輳」が車輪の中心部(hub)。 合わせて、「混雑性、過密性」を表す言葉(hub の部分に物が集中するイメージ)。 ぶっちゃけ「輻輳制御」なんて「混雑性制御」でいいと思いませんか。 英語では congestion (密集、充満、混雑)なんですから。

英語に日本語的性質を

英語の改善案は、結構たくさんありますね。 ネットで検索すればすぐに見つかります。 大体は以下のような案です。

  • あの絶望的な発音と綴りの不一致を改める。

  • 三単元の s 廃止。

  • 不規則変化動詞の規則化。

  • 疑問文での変な助動詞の倒置をやめる。

  • I, my, me, mine 等の格変化の規則化。

  • 単語のアクセント位置の固定化。

  • 高位語に専用の単語を使うのをやめる。基本語からの造語ルールを作る。

さて、ここでは、現実的かどうかは別にして、 日本人のエゴとして、 英語に日本語的特徴を組み入れる方向性を考えてみます。 日本語の特徴で、多言語に組み入れられそうなのには以下のようなものがあります。

  1. 発音と綴りが一致する。

  2. 不規則変化が少ない。

  3. 音韻が単純。

  4. 表意文字と表音文字を両方持つ。

1, 2 は上述の(一般的に言われている)英語の改善案と被りますね。 日本語はつい100年ほど前に仮名遣いを改めたところなので、 発音と綴りの差がほとんどなくて、 初めて聞いた単語でもほぼ確実に綴りが分かります。 不規則変化も、「する」と「来る」の2動詞くらいで、 他はかなり規則的な変化をします。

3 は、いい面も悪い面もあります。 学習が簡単だったり、 聞き間違いを起こしにくいなどの利点はあるものの、 単語が長くなりがちだったり、 同音異義語が増えるなどの問題があります。

ある言語から借用してきた語彙を、別の言語の音韻で読むというのはあまり賢い方法ではないです。 「発音できないこちらの身にもなってください」、 「お願いだからこちらにあわせてください」という感じで完全に下手に出て、 英語の話者に多大な尽力いただかないと無理です。

エスペラント語なんかでは、多少の配慮はしてくれていて、 子音が連続する部分に、適当に母音を挟んで発音してもいいということになっています。 これで、母音中心の言葉を持つ人々が多少発音しやすくなりはするんですが、 あんまりやりすぎると発音と綴りの不一致の問題が生じます。

4 つ目は、日本語最大の特徴にして、最大の利点ではないかと思います。 表意文字にはいろいろな利点があるといわれつつも、 漢字文化圏以外で流行らないのは学習が非常に難しいから。 それを補うのが表音文字との併用です。 日本人は、幼少の頃、まずひらがなを覚え、とりあえず漢字を使わない文章なら読み書きできるようになってから漢字を覚え始めます。 漢字が読めなくても簡単な文章なら読めますし、 漢字を少しずつ覚えていくことで、読める文章が少しずつ増えていきます。

そういうわけで、英語に漢字を追加しようなんて意見も時々聞きます。 アルファベットを漢字で置き換えるのではなく、あくまで併用。 読みは、漢字本来の読み方(音読み)と同じ意味に当たる英単語の読み方(訓読み)を用意する。 ただ、これも、 英単語と漢字が(文化の違いなんかに起因して)1対1に対応していないとかの問題があります。

まとめ

「言葉には変える余地がいくらでもある」ということを認識してもらうことを目的に、 言語の改善や人工言語のことについて書いてきました。 それこそ絵空事なことから、 現実に現在変わりつつあることまで、 取りとめもなく書いています。

もし誰しもが納得するような理想的な日本語の改善案ができたとしても、 それが即座に日本語に反映されることはないでしょう。 でも、そういう発想を持った人が増えれば、 いずれは日本語が改善されていくかもしれません。

ただし、どういう目的を持つかによって言語の改善の方向性は変わります。 ここでは、学習のしやすさという面に焦点を当てた話をしました。 「習得はしやすくなったけども、表現の幅が狭くなった」とかいうことが起きるかもしれません。 これがいいことなのかどうかは、目的を何にするか次第です。

リンク集

後藤文彦の頁
エスペラントの話、 英語の合理化の話、 それに日本語に関してもいろいろな改善案がかかれていたりします。
思索の遊び場
日本語に関して内省したり、 世界各国語で数をどう数えるかをまとめていたり、 日本語文法などを英語で解説したり。
人工言語野
人工言語ポータルサイト。 人工言語関連リンク集や人工言語作成補助ツール、 人工言語作者らによる参加型ブログなどがあります。
新生人工言語論
人工言語を作る際のコツや、 作者自身の作った人工言語「アルカ」の解説などがあります。 特に、完成度の高い言語を創作するならば、文化や風土まで決めろという話まで。 そこまでやってるわけですから、アルカの完成度は非常に高いです。

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